自分がわからない、どう生きたらいいかわからない人へ

いつもは、あまり触れない話題ですが、
最近「なんのためにヨガを学んでいるのか」(この場合は生き方を良くするという意味でのヨガ)
というテーマで、仕事を頼まれたり、
先生の話を聞いたり、友達と話すことばかり続くので
きっとシェアする時なのだなと思いました。

今からシェアするのは、瞑想クラスの友人の投稿です。
シェアの許可をいただいたので載せますね。

ミューさんはその道のプロで
普段は彼女のお話はけっこう難しくて
未熟なわたしにはわからないことが多いのですが
このお話は、すっと、ピタっときました。
結構きついと感じる人もいるかもしれないので
ぜひ、元気な時に読んでみてください。

わたしたちがアーサナの練習でやっているのは
まさにこのことなんだろうなーと思います。

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「自分のことがわからない」
これはとても困った事態なのだともっと真剣になりましょう。

自分のことがわからない。
何をやったらいいのか、
どう生きたらいいのかわからない。
自分の取り柄、長所、個性、才能が
何なのかわからない人が多いのには
驚きます。

えーそんな人がいるの〜
と始めて知った時には、とても驚きました。
ミューは自分と向き合うことが得意で
それが癖になっていることに気づきました。
他人がどうこうということへの興味関心より
自分がどうこうということへの興味関心の
方が比べものにならないくらいに
大きいからです。

時間を忘れるくらいに、目を開けたまま
子供の頃から、自分探求をしています。
自分を知ることは、とても楽しいことです。
あんな自分も、こんな自分も出てくるのです
未だに、初めての自分を発見することがある
くらいに、本当に奥が深くて、面白い。
捉えどころがないくらいに、
複雑極まりないから面白いのです。
自分の内側には、小さな宇宙があるのだと
実感します。

そんな楽しいことをしないなんて、
なんて損しているのだろう。
なんてつまらない人生なのだろう。

自分のことがわからない人は、
当然ながら自分以外の他人のことも、
わかりません。

子供のことも、パートナーのことも、
親兄弟のことも、親友のことも、
同僚のことも、深く理解できていません。

自分のことも、他人のことも、
浅く上部しか見られません。

当然のことながら、
人間関係が上手くいきません。

自分を通して、他人を見ているので、
自分のことが良く理解できていないと、
その人との接し方もわかりません。

衝突、摩擦を避けるためには、
自分の心を押し殺して、
自分を誤魔化して、我慢して、
相手に合わせるしかありません。
それでは、次第にストレスが
蓄積してしまいます。
そして、ある日爆破してしまいます。

自分自身から逃げていたら、
何をやっても上手くいくはずがありません。

しかし、心が弱い人は、
自分の内側を深く探求することを怖がり
自分自身と向き合うことが下手です。
どうやって内観したらいいのかさえ
わからない様子です。

自分には価値がないと
理想どおりにできない自分を責めても
仕方がありません。

先ずは、心全体を観察するのが
難しいのならば、体験を通して、
心の一部分だけを観察してみましょう。
その体験を通して、今どう感じるのか。
何を思うのか。
どうしたら状況は良くなるのか。
改善策はあるのか。
相手を変えることは、できないので、
自分をどう変えていったらいいのかに
意識を向けていきましょう。
丁寧に時間をかけて
自分自身と話し合うことです。

「自分のことがわからない」
これを正当化しないことです。
「わからない」という言葉はとても便利です。
「わからない」と言うと誰もその先を
聞かないからです。
聞かれたくない。触れられたくない部分に
触れられることなく、安全だからです。

しかし「わからない」というのは
とても困った事態だということを
真剣に捉えることです。

起きている出来事から、逃げないで、
上手いっていないことから、
自分を分析して、どういう点に問題がある
のかを深く考え、読み解くことです。
スルーしてはなりません。
自分自身から、逃げる癖を直しましょう。
何も考えたくない。向き合いたくないのでは
いつまでたっても成長できないことを
真剣に肝に命じることです。

そして、毎日じっと座り目を閉じて、
深呼吸をゆっくり繰り返して、
自分をリラックスさせて、緩ませて、
瞑想する時間を少し長くとって下さい。
何も見えない。何も聞こえなくていいのです。
ただ、自分自身と向き合うのです。
ミュー♡
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「自分のことがわからないを正当化しない」

わたしは
これが、練習を続けている原点なのかなと思っています。
研究し続ける、見守り続ける。
自分があきらめてしまったら、誰も自分以上に見守ってくれないのだと思います。

楽しく練習できますように☆彡!
リナ